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急性骨髄性白血病 治療日記 -だってたべたいんだもん編ー

2年前の今日

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今朝 会社へ向かう途中、2年前の今日、白血病と診断されたことに気がついた。しかし、入院してたことが随分遠い過去のような気がする。

 

退院してからを振り返ると

退院してから4ヶ月くらいは、白血球が2000辺りをうろうろしていて、ほとんど家で過ごした。(白血球の基準値は 3300~9000/mm3) くりくりの髪の毛が生えてきた頃。

その次の4ヶ月は、生えた髪の毛を整えて、外に出るようになった。体調をみながら。 疲れたらお昼寝。どうやったら白血球が増えるか?ばかり考えて、足を揉んだり、湯治に行こうかと考えてた。

 

そう、9ヶ月目から、ぐん!と体力が付いてきて、お昼寝しなくてもよくなった。白血球が3000に。ようやく基準値の最低ラインに到達した。

退院して1年経つと、体調も安定し、倒産した前の会社も新しい投資家の出資で復活。 

さらに4ヶ月経って、白血球が5000を超えた。完全復活だ!

 

病気が診断されたのが2年前。そして、退院して1年4か月経った今月、復活した会社に戻り、いつもの日々が始まった。

 

久しぶりに自分のブログを読み返してびっくりした。まるで他人の闘病記を読んでるみたいで心が痛かった。ってか、これ自分じゃん!

辛かった時の記憶って、なくなるみたい。生きてるだけで丸儲けなのだ。日々感謝。

 

 

原爆記念日と不思議な夢

昨日は、8月6日で原爆記念日でした。広島で生まれ育った私は、この日は必ず、夏休みの登校日で、町内の被爆したおじいさんおばあさんの話を体育館で聞いていました。。

今になってわかることですが、私が広島の小中学校で受けた平和学習では、日本、特に広島が受けた戦争の悲惨さだけではなく、いかに日本も他国に対して恐ろしい事をしてきたか、の両方を学ばせてもらいました。結論として、あの時の日本はおかしかった、二度とあのような日本に戻ってはいけない、という学習だったように思います。他の国はどうなのかな。戦争をした相手国を憎むような教育があるのかな。もちろん、戦争を知らない私達と、実際に家族が戦争で亡くなった人たちの感情は、全然違うと思います。

 

さて、

昨年の話になりますが、私が白血病になって、地固め療法の1回目の時、“父が主治医に書いた手紙” を、母が持って来ました。

その内容は、私が被爆三世に当たるので、白血病と何か関係があるかも知れない、というものでした。被爆二世と白血病のデータはとっているだろうけど、もし被爆三世と白血病の関係を研究している人がいたら、ここにも例があることを伝えて欲しいと。

私の祖母は、広島市内から電車で1時間ほど離れた街に住んでいましたが、長男(つまり私の叔父にあたる人)が市内の学校に通っており、73年前の昨日、被爆して亡くなりました。帰って来なかった息子を心配して、翌日、祖母は市内に出て探しましたが、息子はおらず、焼け野原の学校でお弁当箱だけが見つかったそうです。

長男が原爆で亡くなったこと、おばあちゃんが翌日、息子を探しに行って被爆したことは、家族・いとこ 全員知っていましたが、誰一人、その日の広島がどうだったかは、聞かなかったように思います。おばあちゃんの記憶をよみがえらせるのが怖かったんだと思います。

そんなおばあちゃんも、90歳近くまで生きました。私たちが小さい頃は、毎年、いとこ13人全員が祖母の家でお正月を迎えていたので、お年玉も大変だっただろうけど、楽しかったんじゃないかな、と思います。

祖母も長生きしたし、叔父叔母(被爆二世)やいとこ達も大きな病気もしていない(と思う)ので、父のいう、私が被爆三世であることと白血病は関係ないんじゃないかなぁ、と手紙を読んだ時は思いました。大きな病気になった時は、なんで私が!?と思うらしいのですが、不思議と私は全然思いませんでした。この病気の原因は不明とされてるし。そういう運命だったんだな、と冷静に(?)受け止めて、最初は「負けるもんか!」と前向きに治療を、途中から中だるみして、「そもそも抗がん剤治療5回も必要なん?」と思いつつ、8ヶ月間治療しました。

 

さて、本題は、昨日の夢のこと。

私やいとこ、いとこのお嫁さん達が産婦人科に全員集合して、一人ひとり、出産を始めるのです。〇〇ちゃんは、二人だわ~、〇〇ちゃんは、三人!赤ちゃんかっっわいい(*^o^*) 、なんてはしゃぐ私。生まれたかと思えば、すぐ大きくなっていきます。(そこは夢なんで…) 気がついたら、私だけ子供が生まれなくて(これ事実、私んとこだけ子ナシ)、急に悲しくなって、畳で寝ころんでた母に泣きつく!

という夢でした(T_T)

目が覚めると号泣。同じようなDNAを持っているの(ま、正確には違うんだけど)に、私の遺伝子だけ子ナシ白血病って!!!、おばあちゃんアメリカ人と結婚した私のこと怒ってるん!?

って、とっさに思いました。

ごめん、おばあちゃん。。。

 

しかししかし

私は両親から“もういいよ”と思うくらいの愛情と、目に見えないところで、二人のおばあちゃんの強固なプロテクトを背に生きていると真剣に思っています。それに、そんなわけがないのです。おばあちゃんから、アメリカを憎んでるなんて言葉聞いたこともないし。。。二人のおばあちゃんは、世界一優しくて穏やかな人たちでした。

 

白血病がわかる前の金曜日、すごく疲れてようやく帰宅する電車の中で、「ああ間に合った、良かった」と涙が止まらなかった事を思い出しました。人前で泣かないし、まして電車の中で涙が止まらないという経験なんて初めてで、帽子を深く被り、ハンカチを顔に当てて、声を出さないようにしても涙がずっと止まらないのです。で、心では、良かった間に合った、良かった間に合ったって思っている。そして、翌日じゃなく翌々日に目が半端なく腫れて、月曜日になっても腫れは引かず、これじゃ仕事に行けんばい、と皮膚科を受診したことで、白血病が見つかりました。

偶然だわ、って言ったらそれまでなのですが、私はおばあちゃんが「間に合った間に合った」と涙を流して、それで私が皮膚科に行って病気が見つかったと思っています。

 

んじゃ、あの夢はなんだったかな?

夫婦二人で、心に穴が空いたみたいな感情は子供を授からなかったからだよねって言ってた時期もありましたが、そんな想いも私の病気で吹っ飛んで、今は「あー生きてるだけで丸儲けだ、ビールが美味い!」と思うくらい現世を満喫しているのですが。

まあ、もともと変な夢をみるタチで、夢というものは変なものなのです。

 

退院して、もうすぐ1年が経ちます。一緒に仕事してきたみんなは、元気かなぁ。

私は、まだ家でのんびりしています。

 

 

2017年も終わり、ありがとう。皆さま良いお年を!

12月14日 血液検査
白血球WBC 2600/µL (前回 2500/µL)
赤血球RBC 397.0/万 (前回 400.0/万)
血小板PLT 11.9 /万 (前回 8.3 /万)

 

今日は大晦日。広島の実家で年越しです。12月の外来の血液検査で、白血球が少し増えて、ずっと減り続けてた血小板がいい具合に増えて、WT1(悪い細胞)も増えてなかったので、安心しました。超スローだけど回復している、そんな感じなのかな。体力も少しずつついてきた。

 

同室だった人が再発して、先週病院にお見舞いに行ってきた。病室に入る前にナースに彼女の具合を聞いたら、曇った顔で返事があった。私は、顔いっぱいにスマイル貼り付けて病室に入った。友達は、横になったままで、いっぱいしゃべってくれた。先日、一時退院した時は、ナスのボロネーゼを食べて、クリスマスはケーキを食べたとか、私の夢を見たとか(アメリカの農場にいたらしい)、3回目の抗がん剤は自分で決めたことだけどやるべきではなかったとか。喋りながら動かす手が震えてた。「やって良かったんだよ、これから白血球がちゃんとあがってくるから大丈夫だよ」って何回もいいきって帰った。
家に帰って何事もなかったように過ごしてたけど、晩ごはんを作っていたら泣けてきた。いくつか失くしたものがある、けど、それ以上にたくさんのものを得た1年だった。だから、来年はいい年になる。

たくさんの人に支えてもらった一年。ありがとう。皆さま良いお年を!

 

ガッデム足揉みには、ミックジャガー

”健康にいいものやっちゃおう” キャンペーン、絶賛実施中です。

 

先週の血液検査の結果、ぜんぜん回復していない(どころか減ってしまった)ことが分かったので、前から気になっていた自分なりの健康法を実施しています。来月の血液検査で、「おお、あがったじゃん!」という私、想像しています。

 

その一つが足揉み。私は、がんこな冷え性で、足先・アキレス腱あたり~ひざ下まで、いつも冷たい、夏でも冷たい。夏でもソックス穿いて寝て、冬は、つま先とアキレス腱のところにカイロを貼って過ごすくらい。

同じ白血病で2回も移植をされた方のブログを読んでいて、紹介されていた「官足法」に目が☆になり、ここ1週間試しています。足を揉むことにより、足に溜まっている老廃物を崩し、血液循環を良くし、血液を綺麗にしていく、のだとか。足に老廃物がたまるのか?の信ぴょう性は別として、血液の循環は良くなるだろうし、私はこの冷たい足から解放されたい。

まず最初に、「官足法友の会」一般セミナーを受けてみました。セミナーが始まる前、おじいちゃん先生が「あなた初めてね? 何か病気したの?」と聞かれた。「は、白血病です」「ふーん、そう。ここ揉んでね」「い、痛ーーーい!!!」「はははー、だよねー」

セミナーは3時間なんだけど、言われたところを揉んでいくと痛くて痛くて。最後の1時間は、放心状態でした。でも、これで冷たい足がぽかぽかになるのであれば!と思い、翌朝より ぐりぐり棒と格闘しています。

まあ、尋常なく痛いんです。「腎臓」の場所を揉んでGoddamnit!「副腎」Goddamnit!「肝臓」Goddamnit!(これでは痛みが全然伝わらないですね…) 暮らしの中で、Goddamnit(ガッデム)と叫ぶときは、足の小指をぶつけたときぐらいですが、それがずっと続く感じです。脳天を突き抜ける痛さ、とほほ。

 

足揉みの方法はこの本から↓

元気回復 足もみ力 (美人開花シリーズ)

元気回復 足もみ力 (美人開花シリーズ)

 
グリグリ棒 (特製マッサージ棒)

グリグリ棒 (特製マッサージ棒)

 

 

両足40分のコースで、終わった後は500ccの白湯を飲む。500ccの白湯って、結構な量なのよ。1日目は、全てを1時間半かかって終了。2日目は、白湯を飲んだ後、急に身体がだるくなって3時間昼寝。おそらく、好転反応なのだろうと、気を取り直して3日目。4日目からは、この悶絶する痛さをどうやって紛らわせようか?と考えるようになり、いろんなミュージックを試してみたところ。。。

 ミックジャガーが一番だった。

正確には、Maroon 5のMoves Like Jagger

www.youtube.com

 

 Moves like Jagger  歌のテンポに合わせて、ぐりぐり棒が走る。だって私はジャガーなんだもん。いちいち痛いとかいってられないのだ。

老廃物を掻き出してやるのだ、だって私のぐりぐり棒はMoves like Jagger. いちいち悶絶している暇なんかない。

 

「I've got the moves like Jagger」と歌いながら、顔を歪めて足を揉む妻を見るデリ(夫)の顔が冷たいのは言うまでもない。が、いちいち気にしてられないのだ、だって私はミックジャガー。おかげさまで、足はぽかぽかです。すごい!初日から足の冷たさから解放されました。やらなくなると、また冷たくなるだろうから、頑張って続ける。

あと身体の不調といえば、慢性の肩凝り。次の目標は肩凝り改善だな。足を揉みと、1時間くらいは肩凝りが軽くなるんだけど、すぐ戻ってくるんだよね。何かいい方法ないかな。ああ、来月の血液検査で、白血球3000、血小板13万、欲しいです。

 

10-11月の外来、人生いろいろあるわ

10月19日 血液検査
白血球WBC 2700/µL (前回 2000/µL)
赤血球RBC 385.0/万 (前回 341.0/万)
血小板PLT 10.5 /万 (前回 17.9 /万)

11月16日 血液検査
白血球WBC 2500/µL (前回 2700/µL)
赤血球RBC 400.0/万 (前回 385.0/万)
血小板PLT 8.3 /万 (前回 10.5 /万)

毎月1回、外来でドクターDJRに会ってるのだけど、10月の報告をさぼりました。
9月に取った骨髄の検査結果は、芽球1.8%。
地固め3回目あとの結果が1.4%だったので、微妙に増えてるじゃん!と思ったのですが、気にしなくて良いくらいなんだと。寛解(5%以下)キープです。良かった。

しかし、退院してからの白血球は、2000(9月)→2700(10月)→2500(11月)と、11月微妙にさがった。んで血小板は、17万(9月)→10万(10月)→8万(11月)と、ジョジョにさがっとるやないか。なんでだ。ここは、DJRも心配してた。

体調はぼちぼちで、数時間外出すると、家に帰ってぐったりすることもある。家でパソコンしたり、料理をしたりするのは、全然平気なんだけど、外出して歩き回ると疲れる。最近は、こたつで寝るのが心地いい。退院してもう2ヵ月以上経つのに、こんなもんなのかな。

でも、昨日の血液検査の結果から、考え方を変えた。今までは、回復していっていることを前提で「体調みながら、やりたいことやろっ!」って思ってたけど、これからは、「回復が遅い自分に何ができるか?」を考える。実際、白血球・血小板、基準値に全然達してない。

そして退院してから、いろいろあった。
治療が終了して1か月経っても、手のこわばりが治らなくて(ひどくなってきていて)、ぐちぐち考えてもしょうがないと思って、リウマチの検査に行ってきた。結果は、陰性。白血病もいやだけど、リウマチもいやだよね。抗がん剤治療の後遺症なのかな。焦らずに付き合っていくしかない。
朝起きたら、手はこわばって、半分くらいしか曲がらない。何度かグーパーして、ゆっくり曲がり始める。最近は、気にならなくなってきた。良くなったというわけではなくて、慣れたということ。

そして、デリ(夫)の健康診断に付き合って検診センターにいったついでに、乳がん検診を受けてきた。前からわかっていたことだけど、のう胞(良性のしこり)が多数個あって、年に1回超音波検査が必要、とのこと。

で、もったいぶっていたけど、一番大きい変化は、
会社が倒産した、こと。
家で療養していた9月下旬のある日。社長が家にやってきた。「ええ話とちゃうねん」
外資系の会社に勤務して17年。本社が倒産。日本は黒字だけど、本社から商品が入ってこないので、閉鎖。
1月に急性骨髄性白血病と診断されて、8月に退院。そして、10月に会社倒産。これは、何かの冗談のような、本当の話。

それでも、毎日おいしいごはんを作って、パンを焼いて、ケーキを焼いて。
ああ、幸せ。

冒頭の写真は、友達の誕生日に作ったケーキ。「不味い」と二人で笑い転げた。
ああ、人生いろいろあるわ。