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急性骨髄性白血病 治療日記 -だってたべたいんだもん編ー

原爆記念日と不思議な夢

昨日は、8月6日で原爆記念日でした。広島で生まれ育った私は、この日は必ず、夏休みの登校日で、町内の被爆したおじいさんおばあさんの話を体育館で聞いていました。。

今になってわかることですが、私が広島の小中学校で受けた平和学習では、日本、特に広島が受けた戦争の悲惨さだけではなく、いかに日本も他国に対して恐ろしい事をしてきたか、の両方を学ばせてもらいました。結論として、あの時の日本はおかしかった、二度とあのような日本に戻ってはいけない、という学習だったように思います。他の国はどうなのかな。戦争をした相手国を憎むような教育があるのかな。もちろん、戦争を知らない私達と、実際に家族が戦争で亡くなった人たちの感情は、全然違うと思います。

 

さて、

昨年の話になりますが、私が白血病になって、地固め療法の1回目の時、“父が主治医に書いた手紙” を、母が持って来ました。

その内容は、私が被爆三世に当たるので、白血病と何か関係があるかも知れない、というものでした。被爆二世と白血病のデータはとっているだろうけど、もし被爆三世と白血病の関係を研究している人がいたら、ここにも例があることを伝えて欲しいと。

私の祖母は、広島市内から電車で1時間ほど離れた街に住んでいましたが、長男(つまり私の叔父にあたる人)が市内の学校に通っており、73年前の昨日、被爆して亡くなりました。帰って来なかった息子を心配して、翌日、祖母は市内に出て探しましたが、息子はおらず、焼け野原の学校でお弁当箱だけが見つかったそうです。

長男が原爆で亡くなったこと、おばあちゃんが翌日、息子を探しに行って被爆したことは、家族・いとこ 全員知っていましたが、誰一人、その日の広島がどうだったかは、聞かなかったように思います。おばあちゃんの記憶をよみがえらせるのが怖かったんだと思います。

そんなおばあちゃんも、90歳近くまで生きました。私たちが小さい頃は、毎年、いとこ13人全員が祖母の家でお正月を迎えていたので、お年玉も大変だっただろうけど、楽しかったんじゃないかな、と思います。

祖母も長生きしたし、叔父叔母(被爆二世)やいとこ達も大きな病気もしていない(と思う)ので、父のいう、私が被爆三世であることと白血病は関係ないんじゃないかなぁ、と手紙を読んだ時は思いました。大きな病気になった時は、なんで私が!?と思うらしいのですが、不思議と私は全然思いませんでした。この病気の原因は不明とされてるし。そういう運命だったんだな、と冷静に(?)受け止めて、最初は「負けるもんか!」と前向きに治療を、途中から中だるみして、「そもそも抗がん剤治療5回も必要なん?」と思いつつ、8ヶ月間治療しました。

 

さて、本題は、昨日の夢のこと。

私やいとこ、いとこのお嫁さん達が産婦人科に全員集合して、一人ひとり、出産を始めるのです。〇〇ちゃんは、二人だわ~、〇〇ちゃんは、三人!赤ちゃんかっっわいい(*^o^*) 、なんてはしゃぐ私。生まれたかと思えば、すぐ大きくなっていきます。(そこは夢なんで…) 気がついたら、私だけ子供が生まれなくて(これ事実、私んとこだけ子ナシ)、急に悲しくなって、畳で寝ころんでた母に泣きつく!

という夢でした(T_T)

目が覚めると号泣。同じようなDNAを持っているの(ま、正確には違うんだけど)に、私の遺伝子だけ子ナシ白血病って!!!、おばあちゃんアメリカ人と結婚した私のこと怒ってるん!?

って、とっさに思いました。

ごめん、おばあちゃん。。。

 

しかししかし

私は両親から“もういいよ”と思うくらいの愛情と、目に見えないところで、二人のおばあちゃんの強固なプロテクトを背に生きていると真剣に思っています。それに、そんなわけがないのです。おばあちゃんから、アメリカを憎んでるなんて言葉聞いたこともないし。。。二人のおばあちゃんは、世界一優しくて穏やかな人たちでした。

 

白血病がわかる前の金曜日、すごく疲れてようやく帰宅する電車の中で、「ああ間に合った、良かった」と涙が止まらなかった事を思い出しました。人前で泣かないし、まして電車の中で涙が止まらないという経験なんて初めてで、帽子を深く被り、ハンカチを顔に当てて、声を出さないようにしても涙がずっと止まらないのです。で、心では、良かった間に合った、良かった間に合ったって思っている。そして、翌日じゃなく翌々日に目が半端なく腫れて、月曜日になっても腫れは引かず、これじゃ仕事に行けんばい、と皮膚科を受診したことで、白血病が見つかりました。

偶然だわ、って言ったらそれまでなのですが、私はおばあちゃんが「間に合った間に合った」と涙を流して、それで私が皮膚科に行って病気が見つかったと思っています。

 

んじゃ、あの夢はなんだったかな?

夫婦二人で、心に穴が空いたみたいな感情は子供を授からなかったからだよねって言ってた時期もありましたが、そんな想いも私の病気で吹っ飛んで、今は「あー生きてるだけで丸儲けだ、ビールが美味い!」と思うくらい現世を満喫しているのですが。

まあ、もともと変な夢をみるタチで、夢というものは変なものなのです。

 

退院して、もうすぐ1年が経ちます。一緒に仕事してきたみんなは、元気かなぁ。

私は、まだ家でのんびりしています。